top of page
bunshi_hp.jpg

KATSURA BUNSHI  WELCOME

katsura bunshi

落語とは

rakugo perfomer

WHAT IS
RAKUGO

落語は、物語に登場する何人もの人物を、ひとりの演者が会話で演じ分け、「そういうことあるよね」と笑わせ、泣かせ、考えさせ、お客さんを楽しませる芸能です。


着物を着て座布団に座り、扇子と手ぬぐいだけを小道具に使うのは、落語という芸能の形がまとまった江戸時代の日常の姿。あらたまって人前に出るときには、エチケットとして扇子と手ぬぐいは必携品だったので、それを使ってさまざまなものに見立てて演じ、最後に「オチ」をつけて締めくくります。

見た目は江戸時代の姿で、伝統芸能のひとつとされていますが、話す内容や物語は、古典といわれる古くから伝わる話、創作・新作と呼ばれる現代を舞台にした話、時代は古くても新たに作られた話もあります


代々師弟関係で結ばれた東西約850人の落語家によって受け継がれています。

ancient rakugo
rakugo artist

THOUGHTS ON RAKUGO

桂文枝 落語への思い

今の形式で落語が大衆相手の笑芸として確立されたのは、ほぼ 200 年前。いろんな話がつくられ、よくできた噺、面白い噺が、時代に合わせながら、その時代の落語家がより面白く変えながら、次の時代を担う落語家に噺を譲ってきた。いまでも演じられる落語、それが古典落語というもので いま古典落語として演じられているのは演じられる理由があるからだ。


底抜けに面白い、よくできたストーリー、今でも 通じる人情、笑いはなくても芸として見せ場がある、などなど、残るにはそれなりの理由があったからである。

これからも残る条件が揃えば、古典落語として残ってゆくに違いない。
我々は、古典落語になる噺を、たくさん持っていなければ 時代の大きな波に、さらわれて消えてゆく。

今演じられている古典落語より、消えていった落語の方が多い 消えない。古典落語を作るには創作落語をたくさん作る必要がある。
どんなに新しい波が来ても、どんなに生活様式が変わっても、残る噺を作れば落語は永遠となる。
もちろんつくるだけでは、残れない。

 

時代の波に乗っていけるように、変えていく作業もいる。私はとにかく出来うる限り、新しい噺を作る。

たくさん創作落語を創っても、残らない方が多いと思うから、それだけ時代の波を被ることは、想像できる。


だから 今日も次なる噺を考えているのである。

katsura bunshi official blog
bottom of page